大学院受験準備を通して
一年間離職し、研修する。「国内研究員」という制度に則り、研究・調査に専念し、教育者としての資質向上が目的である。そのためにどこで・どのように学ぶべきなのかは、申請の許可があった時点では具体的に定まってはいなかった。神奈川県内の私立高校養護教諭として19年間勤務し、ちょうど20年目を向かえる。「もう一度自分自身の足元をしっかりと固め、職務を充実させたい」という希望が受け入れられた。「保健室におけるより良い生徒対応」にテーマを置いた。ここ数年の間に様々な困難な事例を経験した。心理的な問題を抱える生徒のケース、家庭との連携、事故の発生、既往症を抱える生徒への対応、他教員との組織的協力など、保健室内だけにとどまらないものも含まれる。学校という組織の一員として「より良い対応を磨く必要がある」と、数年前から漠然と思うようになっていた。
保健室への生徒の来室の7割は内科的症状の訴えによるもの。頭痛・腹痛・倦怠感などの症状に伴い、心理的に不安定な背景が伺えることもある。こちらの対応により、その後の本人の状況に何らかの影響を与える可能性もある。時には精神障害的な症状などのサインを観察。また、時には適切な対応が求められる。
実践を通して事例に学び、必要な対応を探り、かかわりのある書物や研修会などに参加した。しかし、学術的な学びの場に恵まれることはなく、その機会を得たいと考えていた。
研修期間を有効なものにするために野村先生のキャリアカウンセリングを受講した。先生の「やってみなければ、良いも悪いも結果はない。ダメだった時にはまた次のことを考えるとして、挑戦してみても良いのではないかな?」という言葉に最後の一歩を踏み出し、大学院受験への挑戦を決意した。
願書提出まで3ヶ月、入学試験日4ヶ月しかなかった。暗中模索であった。まずはエントリーシートの作成に奮闘した。「いつ完成させることができるのだろう?」と不安と焦りが入り混じった。出願書類を揃え、ポストへ投函した。ほっ、としたのも束の間、小論文の準備、土壇場での面接のリハーサルなどなだれ込むように試験の日を迎えた。準備中は、「仕事に影響しないように、家族になるべく迷惑をかけないように、体調を崩さないように。」という思いで過ごした。「時々なぜ私は今、何のためにこんなことをしているのだろう?」と、わからなくなったこともある。しかし、今ならその問いにも答えられる。「経験は宝だから」と。その経験を通して得たことを機会があれば伝えていきたいと思えるようにもなった。
試験前夜は娘が向かうパソコンのキーボードの音にさえ神経質になった。野村先生の面接リハーサルの電話でのレッスンに答えられず、焦りがあった。準備は万全のつもりで向かったが、面接は不本意であった。屈辱と落胆でいっぱいだった。合否発表までの半月は憂鬱な日々であった。合否を確認のため大学まで足を運んだ。掲示板を何度も確認した。「あった!」。娘の小学校受験の合格発表と同じぐらいうれしかった。「やっぱり合格する」ってウレシイと感じられた。
しかし、本当に大変なのは「これから」。「辛く苦しい時はあるはず、でも、同時に自分次第で、学ぶことや知ることも楽しむことはできるはず。」
『It’s never too late!』メルボルンの本屋さんで見つけた本。勇気のわく言葉が散りばめられている。落ち込んだ時は、この本を開くつもり。そして、最後の一歩を踏み出す勇気をくださった野村先生の言葉を思い出すことにしている。
写真提供:facotoryC
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