
窪川 秀一さん「チャレンジ精神を忘れずに前向きに生きる」

ボンド大学(オーストラリア)MBA取得

| 氏名 |
:窪川 秀一さん
(Syuuichi Kubokawa)
 |
| 入会年月日 |
:2002年1月23日
 |
| 所属 |
:窪川パートナー会計事務所
 |
|
 |
MBAプログラムをスタートして、終了するのに3年半の月日がかかり、悪戦苦闘の末、50歳にしてMBAを終了することができた。しかし、英語の勉強を再スタートした時が、実質的なスタートだとすれば、振り返ってみると、なんと7年以上の歳月を要した。
8年前、父が脳梗塞により不完全失語症となり、字が読めなくなり、言葉を失いコミュニケーションが円滑にとれなくなった。当時、私の子供は3歳となり、言葉を巧みに使えるようになり始めていた。父は言葉を失い、娘は言葉を得ていく中で、私はコミュニケーションの手段としての言葉としての英語を学びたいと強く思い、英語の勉強を43歳の時に再開する。
私は、1976年より公認会計士として監査業務およびコンサルテイング業務に従事し、1986年に独立し会計事務所を開業した。私のクライアントには、外資系企業はなく、ほとんど英語を使う機会がない。英語の勉強をしていても使う機会もなく、勉強するモチベーションを維持するのが難しいと感じ始めていた頃、大前研一氏が経営するビジネスブレークスルーと米国のUSC(University of Southern California)により衛星放送によるMBAの遠隔授業が行われていることを知った。3年半前(2000年6月)に、英語の勉強に対するモチベーションの維持の為、USC Postgraduate Advanced Management Programを始め、英語の勉強と併せてMBAの履修科目を1年間学び、7科目の単位を取得することが出来た。その後、2001年より同じくビジネスブレークスルーとオーストラリアのボンド大学によるMBAプログラムが新たにスタートし、私は2期生として2001年8月よりUSCで得た単位を移行し編入した。ボンド大学へ編入する頃から、激変するビジネス環境の中で、ビジネス全般について学ぶことの重要性を認識し始め、英語とビジネスを学ぶことができるという素晴らしいチャンスを積極的に活用していくことになる。このような機会を得ることが出来たのも、デジタル情報革命により衛星TV放送、インターネットの普及、インターナショナルな遠隔授業を提供する大学そして大前先生らの英知によるものであり、このようにサイバー・ボーダレス時代に遭遇することが出来たことに感謝している。
 |
ボンド大学のMBAプログラムでは、各科目ごとに、さまざまなテーマをインターネットによりデイスカッションし、4〜5人のチームを編成し与えられたテーマに対して調査しレポートを作成するというグループ・プロジェクトが与えられ、そして最後にテストが行われた。デイスカッションでは、デイスカッション・ボードに自らの意見を述べ、世界各地からの講師や仲間のさまざまな意見、考え方に啓発される中で、多用なものの見方や人それぞれの興味をもつ観点の違いを知る中で、顔と顔を合わせていなくとも、かなり深く知り合うことが出来た。特にデイスカッション・ボードで情熱あふれるH教授やTAとの意見のやりとりは、忘れられない思い出である。そして、グループ・プロジェクトでチームを作り、チームで作業をする中で、より密度の濃い関わりを持ち、時にはストレスを感じることもあったが、実に貴重な味わい深い経験ができた。そして、試験前には、10人前後の勉強会を開催し、皆仕事帰りに集まり遅くまで試験対策をし、試験を乗り越えてきた。さらに、スタデイーツアーが2回あり、実際にボンド大学に行って、授業を受けレポートを書き、試験を受ける。2週間のスタデイーツアーは、仕事をしながら勉強している者にとって、その日程の確保には思い切りが必要だった。特に1回目のスタデイーツアーは5月の第1〜2週に開催され、会計士としては最も忙しい時期であり、今振り返ると、よくスタデイーツアーを乗り切ることができたものだと感慨深いものがある。ボンド大学の目玉は、チームを編成しビジネスプランを、2年間にわたって作成し、スタデイーツアーの最後に、プレゼンテーションをするという課題である。このビジネスプランの作成の為、通算9回、合宿をしてプロジェクトに取り組んだが、これこそまさしく同じ釜の飯を食った仲間の絆が生まれた。ボンドMBAで学んだ仲間達とは、これから長いつきあいが続きそうであり、互いに啓発しあうすばらしい友人を得たことは、今後の人生にとって大変な財産だと思っている。
私は2002年6月1日(ワールドカップの開会式の翌日)に子供とサッカー遊びをしている際、右足脱臼骨折し、ボルトを11本入れる手術をしなければならないというアクシデントがみまわれた。松葉杖そして杖を使う生活が数ヶ月続き、家族の協力なくしては、日常生活をこなしていくことは困難であり、さらに仕事と勉強の両立は、妻そして子供の理解を得ることが、心から感謝している。一方、怪我をしたことにより、夜や休日のおつき合いが減り、勉強に集中することが出来たのは不幸中の幸いだった。怪我をし、健康のありがたさを痛感する中で、筋肉や骨は負荷がかからないと、急速に肉は落ち、骨密度は粗くなることがわかり、人間の肉体は負荷をかけないと急速に衰えていくものであることを理解した。怪我の教訓は、「生涯にわたり、常に適度の負荷を肉体にかけていくことが大切であり、決して楽で何の負荷もない生活は、決して望ましいものではない」これからも、チャレンジ精神をもって、頭に心に体に適度な負荷を与えつつ、前向きに生きていきたいと思っている。
私はコミュニケーションの手段としての言葉としての英語を学びたいとの思いからスタートし、MBAを終了して思うことは、英語にかかわらずMBAで学んだことはすべてコミュニケーションをより適切に行うことに通じているということである。コミュニケーション・スキルの向上は、私にとってビジネスに限らず人生全般に大変有意義なものであり、コミュニケーションは、生きる喜びに直結していると思っている。
最後に、衛星TV放送やインターネットを多くの人が利用できるようなデジタル情報社会を創造し、インターナショナルな遠隔授業を提供する仕組みを創造した人々に心から感謝したい。
|

窪川さんは会計士として超多忙な生活を送られながら、50歳でボンド大学(オーストラリア)MBAを取得されました。これは、窪川さんの並々ならぬ努力の賜物であることに間違いありません。窪川夫人とお嬢様のご自慢のお父様でいらっしゃることと思います。
|
|
|