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第二百十六言「イギリス男性からのコメント。ジェントルマンがいませんねぇ」(11月17日号)

「文化の違い」の一言で片付けるには無理があるのが、日本人の挨拶に関するマナーです。

 

弊社の壁にも、「1)挨拶、2)時間厳守、3)自己管理」と書いたポスターを貼っていますが、このうち、1番の挨拶に関しては徹底できていない人がまだまだいるように思います。(*2と3はかなり徹底されています。)

 

「お早うございます」「お先に失礼します」「ありがとうございました」「よろしくお願い致します」「申し訳ございません」。これらの言葉は、心とシンクロしてすっと出てきてもらいたいものです。また、挨拶する時は、相手の目をきちんと見て言ってもらいたい。仮に、相手の目を見ることが恥ずかしい場合でも、せめて体だけは、相手に向けてもらいものです。相手の胸元を見て話すだけでも、誰に向けてメッセージを送っているかが伝わるはずです。

 

日本人の挨拶について気になったきっかけは、ほんの二日前、電車で再開したイギリス人の知人、クリス・Fさんからのコメントです。「日本には、ジェントルマンがいないですね」と彼は言いました。その日、日常よく目にする電車内の出来事でクリスとの会話は始まりました。

 

金曜日の終電でのこと。急いで飛び降りようとしたビジネスパーソンが、網棚から自分の鞄を無造作に引っ張り降ろしました。その時、そこにあった新聞紙の束が一緒に落ち、私の顔にあたったのです。このビジネスパーソンは、詫びることも、振り向くこともなく、そのまま電車を降りて行きました。

 

私にとって、この光景はよく目にするもので、慣れっこになっていました。特段何か怒りを感じるということもなく、「またか」と思ったぐらいです。「顔にあたって怪我したわけでもないし、まぁいいか」と、滑り落ちて、自分の膝にある新聞を拾い上げました。その間、周囲の(日本人)客も、無造作に飛び降りていった男性の行為を目で追うものの、数秒も立てば、また皆無表情に戻り、それぞれの世界に戻っていきました。

 

その光景を見ていた、クリスが、少し離れたところから寄ってきて「あなたは、○○駅にお住まいの、野村さんですね。私を覚えていますか?」と声をかけてきました。クリスは、神奈川の有名高校で英語講師をしており、5年前にあるお仕事でご一緒したことがあります。

 

クリスは続けて話しました。「5年前に野村さんと一緒にいらした、高校生の男の子はどうしていらっしゃいますか?」と私も忘れていたことを訊ねてきました。ちょうど、下車する駅が同じだったのですが、クリスは「Ladies First」と私に先を譲った後、アクセントのある日本語で「すみません、すみません」と何度も声をかけながら、満員電車を降りました。その間も、他の乗客は、互いに声を掛け合うことなく、無造作に体をぶつけ合い、引っ掛かったジャケットの裾やバックの紐を引っ張りあい、相手を睨みつけて不快さを表現していました。

 

クリスは、電車を降りて直ぐに言いました。「日本にはジェントルマンがいませんね。日本に長年いて、このことに慣れようとしましたが、やはり慣れることができません」と丁寧に話しました。

 

クリスの感じたことは、私も同じように感じていたのですが、悲しいことに、私はこの状況に慣れてしまっていたようです。「これは、家庭内、学校、社会全体の問題だと思います」とクリスは続けました。

 

まさに、これは、日本国内における教育の問題だと確信に近い思いが私の中で込み上げてきました。大きなクラスルームに静かに座って一方通行の授業を聴き続ける。家庭内でも、「音を立てずに、静かにお食事しましょうね」と教えられていた若者たちが、小、中、高の教育を終えて、「さぁ、君たちは、社会に出ます。ちゃんと挨拶をしましょう!」と言われたところで、即、行動に移すのは難しいでしょう。

 

クリスが勤める学校には、他に、アメリカ人とオーストラリア人の講師がいるそうです。彼ら全員が、英語の授業を通して、挨拶のできる日本人を育てようと努力をしているそうですが、なかなか実践できる学生は増えていないようです。英会話の時間だけ、Hello, How are you?, Thank you, Your welcome, と声を掛け合ったところで、英語の教室を離れたとたん、ぶつかっても言葉を交わさない、睨みつけることで、相手に自分の不快さを伝えようとする世界が待っていれば、挨拶を習慣づけることは難しいでしょう。

 

では、日本人の全てが挨拶をできないかというと、そういうわけではありません。笑顔できちんと挨拶をする人はいますし、またその人たちの回りには、常に人が集まっています。情報も集まってきます。そして、結果として、このような人たちは社会に求められ、仕事のオファーも沢山受けています。きっと、社会人になってからも個々人の心がけ次第で、挨拶はできるようになるのだと思います。

 

「別に挨拶の必要性を感じないから・・・」と考えていらっしゃる方も中にはいるでしょう。しかし、社会とは、自分と周囲の人間との交わりで出来上がるものです。離れ小島で、1人で生きているのではありません。何をするにも、1人で成し遂げられる範囲には限度があります。それ故に、周囲の人たちと助け合いながら生きていかなければなりません。日本の文化が云々、国民性がうんぬんと理由を並べるエネルギーがあるなら、そのエネルギーの一部でも、挨拶をすることに回してみてはいかがでしょう。

 

日本国民の一人ひとりが、挨拶という当たり前のマナーを心がけるだけで、「日本の経済力だけでなく、社会性においても優れている」と海外の人たちに評価してもらえる日が来るのではないでしょうか。

 

 

野村るり子

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