株式会社ホープス
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第二百五十二言「書籍紹介!『Multiple Intelligences The Theory in Practices (多元的知能の世界)』Howard Gardner 著」(2009年7月27日号)
手やタレントの学業サポートをするものです。このようなサービスを開始したのは、どうしても、彼らの能力を世間に気付いてもらいたかったからです。彼らの頭の中は筋肉ではなく、脳みそがぎっしり詰まっていることを、知ってもらいたかったからです。
丁度、私がUCLA(カリフォルニア州立大学ロスアンジェルス校)に通っていた頃、同じクラスに何人かのオリンピック代表選手がいました。考えるスピード、集中力、問題解決力、など多くの面で、彼らは一般の人間を大きく上回っていました。
ホープスのサービスに「セレブリティ支援」というものがあります。これは、スポーツ選
しかし、帰国した私の耳に入る、スポーツ選手への評価は、「スポーツ選手は頭まで筋肉!」
なんとも失礼な表現でしょう。こんなことを言いながらクスクス笑う、日本の大学生や社会人の前で、「彼らの脳みそは、普通の人間の何倍ものスピードで回転している。普通の思考回路ではなく、瞬時、数段飛ばしで正しい角度に走っていける」と叫びたくなりました。
スポーツ選手は、世間が言うほど、バカじゃない!これを証明したくて始めたのがセレブリティ支援です。そして、スポーツ選手と同様に、教養がないと勘違いされている、タレントさんの素晴らしさも一緒に証明することにしました。
そんな私が、今回紹介したいのが、ハーバード大学教育大学院のハワード・ガードナー教授が書かれた『多元的知能の世界』です。この書籍には、知能として、7種類紹介されています。①音楽的知能、②身体・運動的知能、③論理・数学的知能、④言語的知能、⑤空間的知能、⑥人間関係的知能、⑦内省的知能。(それぞれの定義は同書P25~34をご参照下さい。)
人間は、この中のどれか一つが特に秀でている場合もあれば、幾つかを複合的に使いこなしながら、それぞれのキャリアにおいて力を発揮していると、いった内容が書かれています。また、①~⑦のうち、どれか一つの知能が優れているのではなく、全て平等に評価されるべき知能として捉えられています。すなわち、ノーベル賞を受賞するような科学者と、オリンピックでメダルを取るようなスポーツ選手を、同様に優れていると評価する見方です。
多元的知能(MI)の理論が発表されてから、まだ日が浅く、異論を唱える研究者の数も多いのは事実です。とは言え、一回、MI理論に興味を持っていただければなと思います。多くの人がこの理論を受け入れれば、東大を目指すお子さまも、音楽のコンクール目指すお子様も、バレエリーナを目指すお子様も・・・みな平等に「優れているね」って褒めてもらえる社会ができあがると思うわけです。是非、目次だけでも覘いて頂けないでしょうか。自分の中の職業に対する偏見が少しなくなるかもしれませんよ。
野村るり子
第二百五十一言「どの『天才』も持っている才能。それは『続ける才能』」(2009年7月20日号)
ベーブ=ルースにイチロー、高橋尚子。アインシュタインにエジソン、ライト兄弟、野口英世。モーツアルトにベートーベン。北斎に手塚治虫・・・。
生きてきた時代背景、出身国、家庭環境、家族構成、性別、専門分野もまちまちな彼ら。いったい、彼らの共通点はいなんでしょう?
それは、「天才」と呼ばれるだけの偉業を成し遂げてきたということ。
では、歴史に名を残す「天才たち」の共通した特質とは何でしょう?スポーツ選手なら筋力やコーディネーションなど。発明家なら、創造力や応用力。音楽家なら、音感や閃き(創造力)。画家や漫画家なら、色彩感覚や創造力。
こうして見てみると、創造力に関しては、多くの「天才」に共通のようです。しかし、スポーツ選手の場合など「創造力」ある指導者と出会えれば、創造力のない選手も天才的なプレーをすることができます。
では、いったい、全ての「天才」に共通していた(いる)ことってあるのでしょうか?
それは、「ひとつのことを長期やり続ける強い精神力」ではないでしょうか。
その背景には、「好きだから」「楽しいから」といった喜びにも似た原動力があるでしょう。しかし、「天才」と呼ばれるまでには、辛く厳しいことも多々あるのが現実です。文頭で紹介した全ての「天才たち」は、怪我や病と戦いながら、ひとつのことをやり続けました。
野口英世は病に倒れてからは自分の血液をサンプルに研究を続けました。モーツアルトは亡くなる直前まで作曲を続けました。ベートーベンは難聴と戦いながら、音楽活動を続けました。もっと、身近な例では、イチローも高橋尚子も、数知れない怪我と戦いながら、スポーツを続けてきました。
ではいったい、続けるとは、心身のどちらの能力によるものでしょう?私は迷わず、「心」と答えます。どんなに頑強な身体があっても、強い心がなければ継続することは難しいです。
私の、師匠である体操コーチのベラ・カロリーは、若い指導者に向けて子どもたちの「続ける才能」を見落としてはならない、と注意します。なぜなら、どんなに身体的に優れた人間でも、ひとつのことをやり続けなければ、大成することは決してないことを知っているからです。
では、この夏の新たな課題です。ご自身のお子様、あるいや周囲のお子様が、何か「好き」なものを見つけたと感じたら、とにかく、長期に渡り続けることを勧めて下さい。そして、継続していると感じたら、おもいっきり褒めてあげて下さい。
絵を描くことなら、絵が上手下手より、「毎日書き続ける姿勢」を褒め、走ることなら、スピーとではなく、「毎日走り続ける姿勢」を褒めて下さい。こうやって育てられたお子様は、大人になっても、一つのことをじっくり続ける心を手に入れます。
最後に、「今からでは手遅れですよね」と諦めている、大人諸君。今からでも遅くありません、何か続けてみましょうよ。第二の人生で、天才的な結果を出すかもしれません。
モーツアルトは3歳でピアノを始め、5歳で作曲。なら、皆さんも、まずは2年間何かを続けてみてはいかがでしょう?
野村るり子
第二百五十言「『天才』や『秀才』を育てたいなら、まずは、あなたが「うちの子凄い!」と叫んでください。」(2009年7月13日号)
私は『天才』と呼ばれる人たちの生い立ち研究が大好きです。『天才』と呼ばれるお子様に出会うと、お子様の行動を拝見させて頂くだけでなく、そのお子様の保護者、特に最も幼少時に時間を共にしてきた母親をインタビューさせてもらっています。
その結果、ある共通点を見出しました。それは、『天才』と周囲が認知しているお子様の親は、「うちの子は天才かもしれない」と周囲が騒ぐずっと前から信じていることです。
一方で、お子様の才能を開花させない保護者に共通しているのは、最初から「自分の家庭に天才が生まれるわけがない」と思っていることです。あるいは、実は、「うちの子凄い!」と思っていても、それを素直に言葉で表現しないこと。これでは、どんなに才能のあるお子様でも、その才能を開花する機会なく、大人になってしまいます。
最後に、『天才』と『秀才』について、触れておきましょう。努力ではどうにもならないような「稀」な才能を持ち、開花させたのが『天才』であるのに対し、比較的多くのお子様が持つ平均的な才能を伸ばし開花させたのが『秀才』です。才能の「稀さ」に差はあっても、保護者が、その才能を信じて、育てれば、天才か秀才のどちらかには育つはずです。
しかし、近くにいる保護者が「この子には才能がある」と信じなかった場合、前者は『天才』は『変わった子』、『秀才』は『普通の子』に育ちます。
自分のお子様を、『天才』、『秀才』、『変わった子』、『普通の子』に育てるのは、個々人の自由です。それぞれの社会における立ち位置も変わってきます。一般受験や就職活動に強いのが『秀才』。一芸入試や発明コンテストに強いのが『天才』。人が敷いたレールを疑問なく走るのが『普通の子』。そして、『変わった子』は、本来持つ才能を認めてもらうことなく、さらには社会になじめず、浮いてしまいます。
勿論、これら4つの人生に唯一の正解はありません。しかし、個人的には、持って生まれた才能は、身近な保護者が見出し育て、そして、その育成をプロにバトンタッチし、いつか、社会で活かせるようにしたいと思います。
夏休み、身近にお子様はいませんか?じっと観察してみて下さい。きっと、そのお子様にしかない「才能」に気付くはずです。あなたが、自分の子どもを「凄い!!!」と思ってあげることが、最初の一歩です。
野村るり子
第二百四十九言「裸の王様に誰が真実を伝えるか?」(2009年7月6日号)
私は、厳しい注意をする時は、その相手が生徒さんであってもアルバイトさんであっても、一大決心をして受話器を手にします。そして、必ず、社内で宣言します。
「本日、受講生さんを一人失うかもしれません・・・」、や
「本日、アルバイトさんが一人辞めるかもしれません・・・」と。
そして、こう締めくくります。
「それでも、私が注意の電話をすることに賛成して下さいますか?」
これに対し、弊社のスタッフは全員、「大丈夫です」と答えてくれます。その背景には、注意をする上での大切な基準があります。それは、必ず相手の成長につながる注意であること。変えられることは変えるよう注意をする。変えられないことは受け入れるように注意をする。
こんな私ではありますが、若い頃には、自分が傷つくのが嫌で、注意をすることを躊躇ったことも多々あります。注意をしたことで相手が烈火のごとく怒り出したり、泣き出したりした時は、「まぁ、いいか。勝手にして下さい。困るのはあなたですから」、といった投げやりな気持ちになり、相手が直すべきことを見て見ぬふりをしました。
しかし、このように、自分が傷つくことを怖がり、注意することを避けた結果、大いに後悔したこともあります。特に衝撃的だったのは、知人の訃報を受けたことです。私は過去に女性の知人一人と、男性の知人一人を、偶然にも同じ32歳という若さで失っています。
私は、彼らの生活習慣について注意をしたいと感じたことは何回もありました。しかし、彼らが注意をされると大変興奮する性格であることを知っていたので、彼らに本音で語ることを避けてきました。おそらく、私以外の人たちも、同様に、本音で注意をすることを避けていたことでしょう。結果として、一人は過度の飲酒が原因で、もう一人は過度の睡眠薬使用が原因で、32歳という若さで人生を終えました。
今回、マイケル・ジャクソンの突然死の報道を目にするうちに、32歳で亡くなった彼らのことを思い出しました。もし誰かが、勇気を出して、注意し続けていたら、彼らはもっと長く生き続けたのではないか?と感じました。
もう一つ感じたことは、周囲の誰も本音で注意をしなくなっても、母親だけは諦めてはならない、と。マイケル・ジャクソンの遺言状には、子どもたちの親権を譲る相手として『母』の名前が記されていました。あれだけ多くの人が周囲を囲む彼にとって、実際心から信頼していたのは、母親だったのかもしれません。だからこそ、誰も注意をしなくなった「裸の王子様」に最後まで注意ができたのは母だったのではないかと。
私は、仕事柄、毎日多くの母親たちと話をします。彼女たちの多くは、子育てで心を痛めています。「成人した子どもが、自分の注意を聞いてくれない」、「注意をすると激しく反抗すること」、「注意をし続けると避け出す」など。それでも、母親たちは、傷つくことを恐れず注意し続けています。
私は、このような話を聞くたびに、「母親の偉大さ」を知ります。裸の王様は、真実を告げると激しく怒ります。裸の王女様は、真実を告げると激しく泣きます。そのうち、裸の王子様の周りにも、裸の王女様の周りにも、親身になって真実を告げる大人たちがいなくなります。皆、王子様と王女様がよろこぶことしか語らなくなります。そんな中、勇気を奮って真実を告げ、注意をし続けられるのが「母親」なのかもしれません。
私はまず、世の大人たちにお願いがあります。自分が傷つくことを恐れず、勇気を奮って若者に注意をすることを。そして、次に、子を持つ親たちにお願いがあります。周囲の大人たちが、誰もわが子に真実を告げなくなった時でも勇気を持って注意をし続けることを。
野村るり子
