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第二百五十七言「男のロマンス、自主映画製作」(2009年8月31日号)

若干50歳で、3つの組織で顧問を務める男性がおります。彼の名は安東恭助。中高一貫の有名受験校から有名国立大学に進学し、素敵な奥様と可愛らしいお子様に囲まれる日々を過ごしていらっしゃいます。

 

周囲の人たちからは「こんな生活、夢のよう」と憧れられる存在です。

 

しかし、人生において、満たされているかいないかは、周囲が決めるものではなく、自分が決めるものです。

 

「現実/夢」を尺度に「幸福」を測る人がいますが、この方程式に当てはめると、数年前までの安東氏は、まだ「幸福」には達していませんでした。

 

安東氏の目は、常に、外へ外へと向けられていました。小学生時代を都心で過ごした氏は、時々一人で電車に乗って桜木町まで足を運びました。まだなんの開発もされていない港町を眺めるのが好きでした。小学校5年生の頃、「いつか僕は、ここから世界に向けてメッセージを発信する!」という思いが漠然と心を過ぎりました。

 

それから、中学受験を経て、エリートコースに乗り、気づけば、組織の顧問。そんな働き盛りの安東氏を襲ったのは思いもかけない病でした。はじめて「生」や「死」を現実のものとして考えたのもこの時期。38歳の時でした。

 

自分のしたいことをする!

 

このように、強く思った安東氏は、それまでなんとなく興味を持っていた役者の仕事をエキストラから始めることにしました。それから、徐々に役付きの仕事も入るようになり、演ずることの楽しさを覚えました。気づくと、弱っていた身体もすっかり健康な状態に戻っていました。

 

演劇をすることで健康な身体を取り戻した。これが、自分が本当に求めていたものなのだ、と安東氏は実感し、さらに映像への探究心は深まっていきました。

 

そして、2007年。ある会合で、自主映画製作をしている人たちと出会いました。その映画が横浜の「野毛」というところで撮影されることも、キャストもほぼ決定している状態でした。

 

しかし、その後、いくつかのハプニング続き、プロデューサー不在となってしまいました。そこで、白羽の矢が立ったのが、安東氏。これまで、3つの組織での顧問を務めてきた彼にとって、総合的に制作に関わるプロデューサーは適役であったことは言うまでもありません。

 

そして、はじめて映画の撮影場所に足を運び、驚きました。「野毛」という土地こそ、小学校5年の時に「いつかここから世界に向けて、メッセージを発信する!」と誓った、あの場所だったからです。

 

最終的に出来上がった映画は、通常必要とされる制作費の1/3に抑えることができました。その背景には、機材を自前で持ち込むスタッフや、友情出演するキャストがいました。皆が一つとなって、自主的にコスト削減したお陰で、不可能を可能にしたのです。

 

そして、出来上がった作品には、『俺にさわるな』と名づけられました。

 

私は、安東恭助安氏の隣で試写会を拝見しましたが、そこには、男のロマンスを形に変えた安東氏の顔がありました。映像や音楽と同じように、彼の横顔からも美しい輝きを感じました。

 

『俺にさわるな』にご興味のある方、また自主制作映画にご興味のある方は、是非、以下のURLから予告編をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=G8em4sRrPUk

 

また、このユニークな若者マインドを持った50歳の実業家兼プロデューサーにご興味のある方は、info@hopes-net.org 、野村宛にご連絡ください。必ず、安東氏をご紹介させて頂きます。どうみても、若いころサーファーだったでしょう?と思わせる、不思議な雰囲気の持ち主です。(笑・・・褒め言葉です。安東プロデューサー!)

 

野村るり子

第二百五十六言「たたみ一畳で、才能は開花する」(2009年8月24日号)

本日は、私の人生に大きな影響を与えた、ベラ・カロリーと、マルタ・カロリー夫妻のエピソードを一つ紹介させ頂きます。

 

ルーマニアで成功を遂げたベラとマルタが、国家の制度が全く異なるアメリカに亡命したのは1981年のことです。それから、わずか3年でメアリー・ルー・レットンを発掘・育成し、1984年のロス・アンゼルスオリンピックで優勝させました。アメリカの女子体操選手が女王に輝いたのは歴代初のことでした。

 

 ベラとマルタが、アメリカでのトレーニングを開始した時、最初に求められたのは何だったでしょうか?それは、"アメリカの体操界におけるトレーニング制度の改革"でした。

 

 「今後、ソビエトやルーマニアと対等に戦っていくには、これまでのような1日3時間のトレーニングでは不十分。1日6時間のトレーニングに切り替えなければならない」By Bela Karolyi

 

 ベラは、身近なところから制度改革を開始しました。まずは、彼らが売却した体操クラブの保護者を集め、登校前の朝練習と週末のトレーニング時間延長を説得しました。同時に、体育館近くの私立校を訪れ、体操競技のトレーニングで同様の教育効果が得られると考えられる科目の受講免除を交渉しました。その結果、ベラとマルタが選抜する選手は、体育や音楽の受講が免除され、その時間を体操競技のトレーニングに充てることができました。遠征の多い選手に関しては、家庭教師制度や通信教育制度の導入を勧めることで、移動時間を勉強に充てさせました。

 

ここで皆さんに持ってもらいたいのは、才能を育てる上での環境が整っていないからといって、すぐに諦めない心です。

 

まずは、時間確保について考えてみましょう。子どもの才能を開花させるには、学習にかける時間を確保しなければなりません。そこで、保護者の皆さんには、タイムマネジメント力を身につけて頂きたいと思います。

 

子どもの生活の中に、学業と習い事の時間を組み入れ、十分な睡眠時間と食事の時間を確保するのが基本です。その他、学校の宿題をする時間も必要です。このように、考えると、1日24時間では足りないように感じますが、実はそうでもないのです。大切なことは、細切れの時間をどう使うかです。

 

登校前の15分~30分。昼休みの30分。移動時間の30分。このような短い時間での学習も積み重ねて行けば十分な力となります。

 

学習の内容は「まとまった時間が必要なもの」と「短い時間で実施可能なもの」と分けておきましょう。そして、前者には60分や120分といった時間を確保し、後者は余暇に組み込んで行けばいいのです。

 

次に、練習スペースの確保について考えてみましょう。ここで、アメリカでもオリンピック金メダリストを誕生させたベラとマルタが、実は思いのほか小さな体育館で選手育成を行っていたことに触れておきましょう。

 

ベラとマルタが亡命後、直ぐに手に入れた体操クラブは、跳馬の助走路がかろうじて取れる程度の小さなものでした。その体育館で、一般クラスから選手コースまで、全てを教えていました。

 

ここで、皆さんに気づいて頂きたいのは「天才」を育成する上で、大きなスペースは必要でないということです。テニスコートや50メートルプール、何ヤードもあるゴルフ場が即必要になるわけではありません。特に、幼少時のトレーニングにおいては、子どもの身体を自由に動かせるスペースさえ確保できれば十分です。

 

音楽の才能を開花させる上で、最初からグランドピアノが必要なわけではありません。バレエの才能を開花させる上で、最初からバレエスタジオが必要なわけではありません。ノーベル賞受賞者が、子どもの頃から専用の実験室を持っていたわけではありません。

 

自宅より広いスペースが必要と思うなら、公共施設を思い出して下さい。公園や児童館、市営体育館や陸上競技場といったものは、きっと皆さんの家の周りにあるはずです。

 

「うちにはピアノを置くスペースがない」とおっしゃるなら、キーボードやローリングピアノを検討してみて下さい。ご近所迷惑を考えるなら、消音装置を利用して下さい。

 

諦める前に、まずは、考えることです。

 

パパとママが一生懸命働いて、大きなお家に住めるようになったら、グランドピアノを買ってあげましょう。それまでの辛抱よ。

 

こんな優雅なことを言っている間にも、子どもは成長しています。子どもの成長期は待ってくれないのです。大切な成長期を逸してから「さぁ、才能を開花させましょう!」では遅いのです。

 

子どもが才能を開花させられないのは、スペースのせいではありません。何かを理由に、トレーニングの開始時期を先送りにする保護者の心が問題なのです。もし、子どもに才能があると感じ、さらに、その子どもにやる気が見えるのであれば、学ぶチャンスを与えてあげてください。時間の問題もスペースの問題も、あなたの工夫一つで全て解決するはずです。

 

野村るり子

 

第二百五十五言「もし、あなたの子どもに『稀に見る才能』を見出したら、枠を超えて考える」(2009年8月17日号)


皆さん、お盆休みはいかがお過ごしでしたか?

私は現在進めている「天才育成本」作成にあたり、毎日「天才くん・天才さん」とその家族の調査をしていました。

その結果、「天才くん・天才さん」を育てた家族にある共通点を見出しました。それは、家族に少なくとも一人「枠」を持たない考え方の人がいるということです。

ではここで、「枠」を持った考え方の例を挙げておきましょう。

■「女の子のあなたが検事になれるはずはないじゃない。」(性別による決めつけ)
■「6歳でチェスなんて早い。これは大人になってからやるもの。」(年齢による決めつけ)
■「サラリーマン家族でゴルファーなんて無理。あれはお金がある人がやるスポーツ.」
(金額による決めつけ)

このような「枠」持ち発想をする人間は大変多いですが、家族の中に一人でも「枠」の外に目を向けられる人がいると、子どもの可能性は広がります。

これまでの実態調査では、お子様の近くにいることの多い、母親が「枠」超え発想をしている場合が多いです。それ以外では、父親であったり、祖父や祖母、叔父や叔母であったりもします。

才能を開花させる上で多額の資金が必要な場合、金銭面での「枠」を超えるのは、祖父母という場合が多いです。(例:「あの使っていない土地を売って、孫のためにつかってくれ。」)

才能のある子どもが家族に授かることは、両親以外でも身近な者にとっては、大変嬉しいことのようです。皆さまが想像するより、遥かに、経済面での工面は容易です。また、ある程度の年齢にお子様が育てば、中学、高校、大学、特待生制度を利用することも可能です。また、奨学金やローンも可能です。

天才KIDSを育成する上で最も避けて頂きたいのは、子どもの才能に気付いていながら、「枠」に囚われて、自分たちの気持ちを押し殺すことです。

どんなに優れた才能を持っていても、これは、植物の球根と同じです。光や水、質のよい土を与えなければ、なかなか育てることはできません。勿論、稀に、環境に恵まれなくとも、自力で才能を開花させた子どもがいらっしゃいますが、それは大変稀なケースです。(*過去に、少年院で運動神経が認められ、他人からの援助でスポーツ選手になったアフリカ系アメリカ人の男の子を指導したことがあります。これが、その例です。)

最後に、もし、自分が、「枠」を超えた発想に向いていないと思われたら、プロに相談してみて下さい。分野がなんであれ、プロの機関は情報をお持ちです。

残り少ない夏休み、いつもは気付かない、お子様の才能発掘に費やしてみてはどうでしょうか?

野村るり子

 

第二百五十四言「ハーバード大学・イェール大学説明会に参加して感じたこと。」(2009年8月10日号)

もし、席が一つ、多くとも三つしかなかったら、どのような人がその席に座るのでしょう?

 

この質問を念頭に、本日の「野村の一言」を読んで下さい。

 

このたび、日本の高校から現役でハーバード、イェール、コーネルといったアメリカのトップ大学に合格した若者たちの講談を聴く機会を設けました。

 

Harvard Club of Japan 入試面接担当のディビッド・ギッフォード氏は、「日本の高校から直接ハーバード大学に合格する高校生の数は、毎年3名。あるいはそれ以下」と発表しました。おそらく、イェールやコーネルの進学者の数も、そう差はないでしょう。

 

では、この1人~3人にしか与えられない入学許可書を得たのは、いったいどのような若者たちなのでしょうか?皆さまも、きっと気にある点ではないでしょうか。

 

さかのぼれば、高校時代の頃。私が、「○○さんは、凄い!ハーバードに合格したんだから!尊敬する!」と、ハーバードへの入学許可を手にした、クラス委員でアメフトのスター選手、成績はオールAの先輩を敬った発言をしたところ、友人に厳しく叱られました。

 

「トップ大学にいったからいい人とは限らない。どこの大学にだって、いい人もいれば悪い人もいる!」

 

注意を受けた直後は、友人の考えはもっともだと感じました。しかし、こうやって教育コンサルティング会社を運営し、アメリカの大学や大学院へ志願する子どもたちのサポートをしていると、高校時代、私が心に感じた感覚は、まんざら間違っていなかったことに気づくようになりました。

 

ここで補足したいのは、「トップ大学」といっても、学業成績だけで合否を決定する大学のことではありません。高校での履修内容と学業成績、課外活動やボランティア活動、SATやTOEFLといった共通試験のスコア、自己分析や将来のキャリアプラン、そして大学入学後の研究計画を綴ったエッセイ(作文)、第三者からの推薦状、そして面接結果。これら全てによって、多角的に評価し、学生を選抜する世界のトップ大学を意味します。

 

私の考えは、昨日の説明会でさらに強いものとなりました。昨日プレゼンテーションをされたのは、ハーバード大学卒業生、在学生、新一年生。イェール大学卒業生、大学在学生、新一年生。そして、コーネル大学卒業生です。

 

彼らに100%共通していたのは、以下の点でした。

1)              論理的である。

2)              オーラル・コミュニケーション力が高い。

3)              自己のポリシーを持っており、そのポリシーに自信と責任を持っている。

4)              社会貢献を常に念頭に置いている。

5)              学業以外にも、長期に渡り続けているものがある。(例:楽器、スポーツなど)

6)              複数のことを同時に実行し、それぞれに成果を出している(例:クラス委員&スポーツ選手&音楽家、といったように)

7)              一定の学力を維持している。(共通一次のスコアや高い評定平均)

 

ここで、皆さんも考えてみて下さい。これら7項目が共通していたのは偶然でしょうか?いいえ違います。これは、アメリカのトップ大学が、バランスの取れた若者を選抜しようと考案した選抜制度によるものです。

 

一方で、アメリカ型の選抜方法についての論争は絶えません。一回の試験結果で順位をつける日本の一般受験がフェアであるという声も多く挙がっています。アメリカ型の選抜方法では、ダイバシティーを重んじるが故、その年の出願者が出揃うまで、誰が選抜されるか読めないのも事実です。しかしながら、少なからず、バランスの取れた学生が選抜されているのは事実ではないです。

 

さて、最後にもう一つ、今回講談者の多くが口にした一言をここで紹介しておきましょう。

 

「選抜されるか否かは最後は『運』です」

 

『運』。これは、自分のやるべきことを全てやりつくした人のみ口にすることのできる言葉です。彼らは何事においても、手を抜くことをせず、バランスある人格を築き上げてきた人たちです。しかも、大学進学の数ヶ月や数年前からではなく、幼少の頃から、常に前向きに歩んできた若者たちです。

 

私は、今回講談された若者のうち何人かは、今後、日本や、アジアや、そして全世界を変えていく存在となると信じています。

 

野村るり子

 

 

 

第二百五十三言「とても素敵な青年との再会。富田勇樹くん(Yewki Tomita)の応援、よろしくお願い致します。」(2009年8月3日号)  

最近とっても嬉しいことがありました。それは、富田勇樹くんとの再会です。この名前では、ピンとくる日本の方は少ないかもしれません。しかし、Yewki Tomitaと名乗れば、アメリカの体操競技ファンは誰でも、彼の顔が浮かびます。

勇樹くんは、高校卒業後単身で渡米し、体操選手としてアメリカで活躍し、その後アメリカのナショナルチームのコーチにまでなった富田洋一さんの息子さんです。

勇樹くんは幼少時に、洋一さんのもとで体操競技のトレーニングを開始し、アメリカのナショナルチーム選手へと成長しました。そして、選手を退いた今、第二の故郷である日本でセカンドキャリアを積もうとされています。

私が最初に、勇樹くんに出会ったのは、彼が小学生の頃。記憶の中では、いたずらばかりしている小さな体操少年でした。次に、お会いしたのは2000年、ボストンで開催されたU.S. Olympic Team Trials の時でした。年齢にして、二十歳前後。

同じ日本人の血を引くものとしての贔屓目(ひいきめ)抜きにして、Yewki Tomitaの貢献なしに、アメリカのナショナルチームは世界のトップに位置することはなかったと思います。さらに言うなら、100%アジアの血が流れる者が、アメリカのトップアスリートとして生きていくことは、決して容易なことではありません。特に、採点競技の世界では、他の選手を抑えるだけの圧倒的な力がないかぎり、運だけで高得点をマークすることはできません。

私は、長年に渡る富田父子の世界での参戦ぶりを拝見し、心の底から彼らにエール送ってきました。それは、アメリカで生きることの喜びを知る一方で、厳しさを十分知っているからでしょう。おなじ日本人として、彼ら親子の行き方はグローバリゼーションなどという言葉が日本で流行るずっと前から、私に夢や希望を与えて下さいました。

今後は、勇樹くんの第二の人生において、日本で思いっきり応援したいと思います。このように思えるのは、勇樹くんが恩師洋一コーチの息子さんであるからではありません。勇樹くん本人の人間性が魅力的だからです。筋の通った考え方、第二言語である日本語を同年代の日本人以上に正しく丁寧に話そうとする姿勢。日本とアメリカの両方の文化を尊重する姿勢。そして、なによりも誠実であるということ。これら全てを客観的に見た上で、このような若者に日本とアメリカの橋渡しになってもらいたいと感じました。

今後、テレビや雑誌といったメディアを通して富田勇樹くんの名前を目にした時は、応援よろしくお願い致します。

野村るり子