株式会社ホープス
〒107-0062
東京都港区南青山6-12-3
南青山ユニハイツ701号室
- 第二百七十三言「なんで、この仕事をしているかって?それは、仕事の本質が好きだからです」(2009年12月21日号)
- 第二百七十二言「年末年始、体の郵便配達さんを無視しないでね」(2009年12月14日号)
- 第二百七十一言「『十二人の怒れる男』を見て。プロ×プロ=スーパー作品」(2009年12月07日号)
- 第二百七十言「子どもは無限の力を持っている。声がけには気をつけて!」(2009年11月30日号)
- 第二百六十九言「ついに発売決定!、『3年あれば天才は育つ! 親も気づかない才能を「見つける」「引き出す」方法』(経済界)」(2009年11月23日号)
- 第二百六十八言「休憩と遊び。これが業務効率アップの秘訣」(2009年11月16日号)
- 第二百六十七「同窓会幹事の母たち」(2009年11月9日号)
- 第二百六十六言「マイケル・ジャクソンは King of Pop? それ以上です。Godです」(2009年11月2日号)
- 第二百六十五言「過ぎたるは及ばざるがごとし」(2009年10月26日号)
- 第二百六十四言「『装丁家』というお仕事。本に着せる洋服のデザイナー」(2009年10月19日号)
第二百五十三言「とても素敵な青年との再会。富田勇樹くん(Yewki Tomita)の応援、よろしくお願い致します。」(2009年8月3日号)
最近とっても嬉しいことがありました。それは、富田勇樹くんとの再会です。この名前では、ピンとくる日本の方は少ないかもしれません。しかし、Yewki Tomitaと名乗れば、アメリカの体操競技ファンは誰でも、彼の顔が浮かびます。
勇樹くんは、高校卒業後単身で渡米し、体操選手としてアメリカで活躍し、その後アメリカのナショナルチームのコーチにまでなった富田洋一さんの息子さんです。
勇樹くんは幼少時に、洋一さんのもとで体操競技のトレーニングを開始し、アメリカのナショナルチーム選手へと成長しました。そして、選手を退いた今、第二の故郷である日本でセカンドキャリアを積もうとされています。
私が最初に、勇樹くんに出会ったのは、彼が小学生の頃。記憶の中では、いたずらばかりしている小さな体操少年でした。次に、お会いしたのは2000年、ボストンで開催されたU.S. Olympic Team Trials の時でした。年齢にして、二十歳前後。
同じ日本人の血を引くものとしての贔屓目(ひいきめ)抜きにして、Yewki Tomitaの貢献なしに、アメリカのナショナルチームは世界のトップに位置することはなかったと思います。さらに言うなら、100%アジアの血が流れる者が、アメリカのトップアスリートとして生きていくことは、決して容易なことではありません。特に、採点競技の世界では、他の選手を抑えるだけの圧倒的な力がないかぎり、運だけで高得点をマークすることはできません。
私は、長年に渡る富田父子の世界での参戦ぶりを拝見し、心の底から彼らにエール送ってきました。それは、アメリカで生きることの喜びを知る一方で、厳しさを十分知っているからでしょう。おなじ日本人として、彼ら親子の行き方はグローバリゼーションなどという言葉が日本で流行るずっと前から、私に夢や希望を与えて下さいました。
今後は、勇樹くんの第二の人生において、日本で思いっきり応援したいと思います。このように思えるのは、勇樹くんが恩師洋一コーチの息子さんであるからではありません。勇樹くん本人の人間性が魅力的だからです。筋の通った考え方、第二言語である日本語を同年代の日本人以上に正しく丁寧に話そうとする姿勢。日本とアメリカの両方の文化を尊重する姿勢。そして、なによりも誠実であるということ。これら全てを客観的に見た上で、このような若者に日本とアメリカの橋渡しになってもらいたいと感じました。
今後、テレビや雑誌といったメディアを通して富田勇樹くんの名前を目にした時は、応援よろしくお願い致します。
野村るり子
