株式会社ホープス
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第二百六十一言「83歳のラブレター」(2009年9月28日号)
私が、過去のブログで紹介したRayさんを覚えていらっしゃいますか?
初めて、「野村の一言」をご覧頂く方のために、Rayさんがどのような方であったか説明させて頂きます。
一言でまとめれば、Rayさんは野村の命の恩人です。
15歳で単身渡米した私は、常に周囲にいる信頼できる大人たちに助けられてきました。Rayさんは、その信頼できる大人の一人です。高校時代からつい最近まで私に生きる上での教訓をたくさん教えてくれた人です。
Rayさんは1920年代の生まれで、東京大学法学部を卒業後、商社マンとして、妻と二人の子どもを連れてカナダに移り住みました。その後、独立起業し、アメリカのフロリダ(マイアミ州)を拠点にビジネスを展開。
Rayさんは常に冷静で、私が直面した問題を、次々と解決してくれました。特に印象的であったのは、高校時代、私が詐欺にあい、所持金全てを失ったときのことです。その時、Rayさんは、冷静に、しかし笑顔を絶やすことなく(詐欺行為を行った相手と)交渉し、ほぼ全額を取り戻してくれました。最後は詐欺師さんと笑顔で握手をして分かれていたのを覚えています。
さらに、高等教育を受けることの意義については、10代の私が納得いくように、例を挙げて説明してくれました。
「学歴はあえて見せて歩くものではない。例えば、戦いの場で相手がナイフを取り出したとしよう。その時『こちらには銃があるのだよ』と見せることで、争わずに済む。学歴とは、これと似ている。必要な時に出すものであり、見せて回るためのものではない。」
学習塾を運営する今、私たちの生徒たちの多くが最高学府に進みます。そのような若者に対し、「学歴は自慢のためのものではない。実践の場で生かすものである。常に謙虚であれ」と言い切れるのは、Rayさんの教えがあったからです。
さて、このように、私に大きな影響を与えてくれたRayさんが、今月18日に他界しました。彼の最期は、なんとも挑戦心旺盛でダンディーなものでした。
彼は、常に新しいことに挑戦するのが好きでした。83歳の誕生日を前に、心臓のバイパス手術を受けることを決意したのもこのような挑戦心からでした。静かに生きつづけることより、手術を受けてアクティブな人生を送ることを選び、手術の前日まで「楽しみだ!楽しみだ!」と少年のように心を躍らせていたといいます。
そして、ダンディズムについてですが、Rayさんは、生涯、現役のプレイボーイでした。俳優なみの美しい容姿を持った彼は、多くの女性の恋心をくすぐってきました。そして、80歳を過ぎてからも、ネット上の対戦ゲームでは、自分の年齢を公表せず、20代の若い女性たちとゲームを楽しみ、「Rayさん、お幾つ?」と聞かれれば、「ご想像にお任せします」と、若くてハンサムなRayさんを貫き通しました。
この年齢を伏せてのインターネット上でのデートを、誰よりも微笑んで見守っていたのは、妻のYoshiさんです。
RayさんとYoshiさんは、大恋愛の末結婚しました。Yoshiさんの口癖は、「Rayさんがいなければ生きていけない」。そして、Rayさんの口癖は「今、私が生きていられるのは、全てYoshiのお陰」でした。
このような二人でしたから、手術が成功した後の'新たな人生'を大変楽しみにしていました。しかし、手術後Rayさんは目を覚ますことなく他界しました。
全く予期せぬ出来事の後、Yoshiさんは2通の手紙を見つけました。一通は遺書であり、もう一通は「ラブレター」でした。その内容を、Yoshiさんは、私に伝えてくれました。
「この83年間、私は幸せだった。Yoshiと一緒に過ごせて本当に幸せだった。私は、一足先に行って待っているから、またあの世でも一緒になろう。でも、あまり早く来てはならないよ」
最後の一言「あまり早く来てはならないよ」に込められた妻への思いに、涙が込み上げてきました。最期まで妻を愛し、最期まで、自分のことよりも妻を思いやる姿。これこそ、Rayさんの生き方そのものです。
アメリカという地で、アジア人が生きていくことは決して簡単なことではありません。しかし、どのような逆境にあっても、愚痴、妬み、嫉みを口にせず、常に前向きに生きぬいたRayさん。私は、こんな彼を心の底から尊敬し、彼が私に教えてくれた全てのことを、生きている私が行動に移そうと思います。そうすることで、彼はこれからも私たちの中で生き続けます。
最後に私は、加齢とともに挑戦することや愛することを諦めている方に、伝えたいことがあります。それは、前向きに生きることも、人を愛することも、年齢を理由に止めないでもらいたいということです。最期の瞬間まで、挑戦し人を愛しぬいて下さい。
野村るり子
第二百六十言「世界一位は一回で学ぶ。世界一流は2回で学ぶ。3回で学ぶのは普通の人。」(2009年9月21日号)
ただの一流ではなく、世界の一流になりたいのですが、どうしたらよいでしょう?
口に出さずとも、ちょっとは、こんな考えを持たれた方もいるのではないでしょうか?
そこで、本日は、世界一流の人から教わった、心がけを一つ紹介しておきましょう。
それは、「失敗したら、1回で学ぶ!」です。
これは、尊敬するオリンピックコーチのマルタ・カロリーさんから、私が20代の頃、教えてもらったことです。
もともと、私が、彼女の下で働けるようになったきっかけは、ある社員の3回の遅刻が原因でした。
私は大学卒業後、ベラ&マルタ・カロリー夫妻の元を訪ね、「ここでコーチをしたい」と希望を出していました。しかし、丁度彼らが、ロスアンゼルス・オリンピックでメアリー・ルー・レットンに金メダルを獲得させた直後だったので「うちで働きたいコーチは山ほどいる」と断られてしまいました。
そこで、私は、毎日、練習を見学させてもらう許可だけ手にしました。そして、毎日毎日、屋根裏部屋に設置された小さな見学ルームから、練習風景を見てはメモを取っていました。すると、ある日、マルタの秘書が私のところにやってきて、訪ねてきました。
「マルタが知りたいそうです。あなたが(屋根裏部屋から)降りてきて指導をしたいか。(Martha wants to know, if you want to come down and teach.)」
なんで、このようなチャンスが舞い降りてきたかについてお話しましょう。
実は、一般コースから選手コースまでオールマイティーで指導できる大変優れた若い男性コーチがいました。しかし、そのコーチには、遅刻癖がありました。
遅刻して入って来た時は、決まって「今日は、車が渋滞にはまって」や「今日は、バイクが壊れて」といった、車社会のアメリカらしい言い訳をしました。(*東京のようなメトロポリタンであれば、電車の事故による遅延といったところです。)
この遅刻常習コーチに、マルタは言放ちていたそうです。
「あなたに2回チャンスをあげる。3回目はOUT!」
そして、その3回目の遅刻連絡の電話を受けた時、マルタは「あなたはOUT!さようなら!(You are OUT! Good Bye!)」と言って、電話を切りました。そして、秘書に向かって「毎日、見学にきている日本人を呼んで、指導したいか聞きなさい」と言ったそうです。
ここまでの話では、神様は私に向かって微笑んだかのように見えます。しかし、マルタという神様は、大変フェアな神様でした。その後、私もYou are OUT!の警告を受けたことがあります。
後にも先にも、一回きりのことでしたが、私も寝坊をして2時間も遅刻をしたことがありました。
到着した私に向かってマルタは言いました。
「前の日に、何をしてようとあなたの自由。ただ、なんであれ、時間どおりに仕事には来なさい。・・・あなたは、アウトよ。もうあなたがする仕事はここにはないわ!」
ここからは、日本の学校で培われた、'廊下で立ってお怒りが収まるまで待つ'忍耐強さを生かし、長時間事務所の中に立っていました。(おそらく、アメリカ人であれば、本当に、体育館を出ていったか、遅れた理由についての正当化スピーチをしたことでしょう。)
すると、徐々に体育館の業務が忙しくなっていきました。電話は鳴り出し、生徒の保護者は窓口に並ぶ始末。
そこで一言、マルタが大きな声で叫びました。
「なにをやっているの?働きなさい!(What are you doing? Work!)」
こうして、私は首の皮一枚で繋がったわけです。
その日の業務が一段落ついた時、マルタに言われたことは「同じミスは2回までは許す。3回目はOUT!よ」でした。
実のことを言えば、物覚えが悪い私は、ベラの前でもマルタの前でも、3回以上同じミスを繰り返したこともあります。しかし、常に、同じミスは2回まで、同じミスは2回まで、・・・と頭の中で唱えてきたので、3回同じ注意を受けた瞬間は身も凍る思いでいたことは確かです。
後に、ナディア・コマネチの手記に「ミスは1回。2回同じことを繰り返すのは、考えが足りない」といった内容を見つけ、気がつきました。
世界一位は1回で覚える。世界一流は2回で覚える。3回同じ注意を受けて覚えるのは普通の人。
ちょっと厳しいかもしれませんが、あなたも子どもを世界に羽ばたく超一流天才キッズに育てたいのであれば、「同じ注意は2回まで!」のルールを持ってみてはいかがでしょう?しかし、失敗から直ぐに学ぼうという姿勢が見えた時は、マルタやベラがそうであったように、寛大なご判断をどうぞよろしくお願い致します。
第二百五十九言「『自分プロモート』と『自慢話』の違い」(2009年9月14日号)
「ハリウッド近辺の飲食店には、役者の卵が世界から集まっており、それぞれがResume (レジメ)と呼ばれる、履歴書と職務経歴書が統合されたものを持って歩いている」という話を聞きました。
そして、映画関係者に出会う機会があれば、自分から寄って行き「アジア人の女優をお探しですか?私には○年の演劇経験があり、英語の他、日本語と中国語が話せます。また、声楽も○年やってきました・・」といったように、手短に自己PRをして、Resumeを手渡します。
一方、日本では、大学名の入った履歴書を使うことや、大学名の入った名刺を使うことで、安堵感を得ているように思います。そして、まだまだ自分のキャリアに責任を持って、自分プロモートをする若者が少ないように思います。
これは、個人主義のアメリカに対し集団主義の日本といった背景が関係しているからでしょう。
しかし今後、自分の人生を組織に全て委ねるのは、少し甘いように思います。ある程度、自分のスキルを高め、堂々と自分プロモートできる人間になる必要があるのではないでしょうか?
さて先日、キャリア・コンサルタントの古田富正先生の『セルフ・マーケティング入門』(主催:早稲田大学エクステンションセンター)を拝見させてもらいました。
そこで、自分をセールスするには、商品やサービスをセールスするのと同じように、自分の強みと市場ニーズを知った上で、自分の市場価値を見極め、自分をプロモートしていくことの大切さを改めて確認しました。
私の会社は表参道という駅の近くにあります。この地域は、美容院、エステ、スポーツクラブ、飲食店、など様々なサービス業が、山ほど立ち並んでいます。ハリウッドほどではないにせよ、ここにもチャンスを求めて集まる若者がたくさんいます。
このような地域で暮らしていると、素敵に『自分プロモート』してくる若者と出会うこともあれば、周囲を蔑み、自分がどれだけ優れているかについて『自慢話』をしてくる若者とも出会います。
『自分プロモート』と『自慢話』とは、似て非なる物です。
『自己プロモート』は、ニーズに対応できる自分を分かりやすく説明することです。
一方『自慢話』は、社会のニーズなどそっちのけで、どれだけ自分が他の人間より素晴らしいかを吹聴するようなものです。
つい最近も、10代の若者で、知識量、経験、特技、志、・・・などを、さりげなくしかも正確に短時間で伝えてきた若者がいました。さらに、彼は、現在勤めているバイト先の仕事も、完璧以上にこなしていました。
私は、このような若者を心からバックアップしたいと感じ、彼らに有益と感じる情報はなんであれ、余すことなく伝えてあげようと思います。
しかし、『自慢話』をする若者には、まず、生きる姿勢を変えるよう伝えます。
まずは一回、自分を客観的に見つめ直し、①自分の強み弱みは何か?②市場ニーズは何か?を整理すること。その上で、客観的に自分を一つの商品として伝えるコミュニケーション能力を身につけること。そして、今ある自分は、これまで自分を支えてくれた多くの人のお陰であると感謝の気持ちを持つこと。
このようにして、『自慢話』が『自己プロモーション』へと移行する日があれば、私に限らず多くの人が、「君(あなた)のためになりたい」と思うはずです。
野村るり子
第二百五十八言「『正しいも』のから『良いもの』が生まれるわけではない」(2009年9月7日号)
ここ何日間か、偶然にも、映画製作に関わるイベントへの参加が続きました。
9月3日(木)には、東京大学・安田講堂で行われた公開講座にて、『TAJOMARU』の中野監督、山本プロデューサー、亀山プロデューサーや、俳優の小栗旬さん、柴本幸さん、田中圭さん、やべきょうすけさん、萩原健一さん、の特別講義を拝聴してきました。
4日(金)には、一流の俳優や女優をプロデュースし続けているタレントエイジェントの代表者や、ハリウッドで映像の研究を深めてきたプロデューサー、バイリンガル俳優のキャスティング会社の代表者、NYで演技の研究を深めてきた演劇コーチ、そして、ハリウッド俳優を目指す青年との会合の場に参加させて頂きました。
さらに、5日(土)には、女優を目指す少女の宣材写真撮影にも関わりました。
これら、全てを通して、私が知りえたことは、「映像とは戦略的に撮ればよい作品が生まれるわけではない。偶発的に優れた作品が撮れることがある」という事実でした。
「正しいものから良いものが生まれるわけではない」
これは、東京大学の公開講座での山本又一郎プロデューサーの大変印象的な一言です。
シューティングの数分前にざっと脚本に目を通し役作りした役者の演技が、何日もかけてじっくりと役作りした時の演技を上回ることもある。どこで、よい画(え)が撮れるかはわからない。だから、フィルムをまわし続ける。多くの場合、偶発的に優れた作品が出来上がることがある、ということでした。
スポーツ指導を長年していると、練習量が結果に直結していることが分かります。すると、ついつい「努力」することを高く評価してしまいます。しかし、映像の世界では、あまり稽古をつけていない役者の演技からも、人の心に衝撃を与える優れた作品が出来上がるというのです。
そして思い出したのが、2004年に公開された、是枝裕和監督の『誰も知らない Nobody Knows』です。この作品では、主演の柳楽優弥さんがカンヌ国際映画祭で史上最年少及び日本人として初めての最優秀主演男優賞を獲得しました。が、彼もこれが初の映画作品でした。
きっと、今の私に求められているのは、既存の「正しさ」ばかりを追い求めるのではなく、偶発的に生まれる「良さ」にも目を向けることなのでしょう。
野村るり子
