株式会社ホープス
〒107-0062
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南青山ユニハイツ701号室
- 第二百七十三言「なんで、この仕事をしているかって?それは、仕事の本質が好きだからです」(2009年12月21日号)
- 第二百七十二言「年末年始、体の郵便配達さんを無視しないでね」(2009年12月14日号)
- 第二百七十一言「『十二人の怒れる男』を見て。プロ×プロ=スーパー作品」(2009年12月07日号)
- 第二百七十言「子どもは無限の力を持っている。声がけには気をつけて!」(2009年11月30日号)
- 第二百六十九言「ついに発売決定!、『3年あれば天才は育つ! 親も気づかない才能を「見つける」「引き出す」方法』(経済界)」(2009年11月23日号)
- 第二百六十八言「休憩と遊び。これが業務効率アップの秘訣」(2009年11月16日号)
- 第二百六十七「同窓会幹事の母たち」(2009年11月9日号)
- 第二百六十六言「マイケル・ジャクソンは King of Pop? それ以上です。Godです」(2009年11月2日号)
- 第二百六十五言「過ぎたるは及ばざるがごとし」(2009年10月26日号)
- 第二百六十四言「『装丁家』というお仕事。本に着せる洋服のデザイナー」(2009年10月19日号)
第二百六十一言「83歳のラブレター」(2009年9月28日号)
私が、過去のブログで紹介したRayさんを覚えていらっしゃいますか?
初めて、「野村の一言」をご覧頂く方のために、Rayさんがどのような方であったか説明させて頂きます。
一言でまとめれば、Rayさんは野村の命の恩人です。
15歳で単身渡米した私は、常に周囲にいる信頼できる大人たちに助けられてきました。Rayさんは、その信頼できる大人の一人です。高校時代からつい最近まで私に生きる上での教訓をたくさん教えてくれた人です。
Rayさんは1920年代の生まれで、東京大学法学部を卒業後、商社マンとして、妻と二人の子どもを連れてカナダに移り住みました。その後、独立起業し、アメリカのフロリダ(マイアミ州)を拠点にビジネスを展開。
Rayさんは常に冷静で、私が直面した問題を、次々と解決してくれました。特に印象的であったのは、高校時代、私が詐欺にあい、所持金全てを失ったときのことです。その時、Rayさんは、冷静に、しかし笑顔を絶やすことなく(詐欺行為を行った相手と)交渉し、ほぼ全額を取り戻してくれました。最後は詐欺師さんと笑顔で握手をして分かれていたのを覚えています。
さらに、高等教育を受けることの意義については、10代の私が納得いくように、例を挙げて説明してくれました。
「学歴はあえて見せて歩くものではない。例えば、戦いの場で相手がナイフを取り出したとしよう。その時『こちらには銃があるのだよ』と見せることで、争わずに済む。学歴とは、これと似ている。必要な時に出すものであり、見せて回るためのものではない。」
学習塾を運営する今、私たちの生徒たちの多くが最高学府に進みます。そのような若者に対し、「学歴は自慢のためのものではない。実践の場で生かすものである。常に謙虚であれ」と言い切れるのは、Rayさんの教えがあったからです。
さて、このように、私に大きな影響を与えてくれたRayさんが、今月18日に他界しました。彼の最期は、なんとも挑戦心旺盛でダンディーなものでした。
彼は、常に新しいことに挑戦するのが好きでした。83歳の誕生日を前に、心臓のバイパス手術を受けることを決意したのもこのような挑戦心からでした。静かに生きつづけることより、手術を受けてアクティブな人生を送ることを選び、手術の前日まで「楽しみだ!楽しみだ!」と少年のように心を躍らせていたといいます。
そして、ダンディズムについてですが、Rayさんは、生涯、現役のプレイボーイでした。俳優なみの美しい容姿を持った彼は、多くの女性の恋心をくすぐってきました。そして、80歳を過ぎてからも、ネット上の対戦ゲームでは、自分の年齢を公表せず、20代の若い女性たちとゲームを楽しみ、「Rayさん、お幾つ?」と聞かれれば、「ご想像にお任せします」と、若くてハンサムなRayさんを貫き通しました。
この年齢を伏せてのインターネット上でのデートを、誰よりも微笑んで見守っていたのは、妻のYoshiさんです。
RayさんとYoshiさんは、大恋愛の末結婚しました。Yoshiさんの口癖は、「Rayさんがいなければ生きていけない」。そして、Rayさんの口癖は「今、私が生きていられるのは、全てYoshiのお陰」でした。
このような二人でしたから、手術が成功した後の'新たな人生'を大変楽しみにしていました。しかし、手術後Rayさんは目を覚ますことなく他界しました。
全く予期せぬ出来事の後、Yoshiさんは2通の手紙を見つけました。一通は遺書であり、もう一通は「ラブレター」でした。その内容を、Yoshiさんは、私に伝えてくれました。
「この83年間、私は幸せだった。Yoshiと一緒に過ごせて本当に幸せだった。私は、一足先に行って待っているから、またあの世でも一緒になろう。でも、あまり早く来てはならないよ」
最後の一言「あまり早く来てはならないよ」に込められた妻への思いに、涙が込み上げてきました。最期まで妻を愛し、最期まで、自分のことよりも妻を思いやる姿。これこそ、Rayさんの生き方そのものです。
アメリカという地で、アジア人が生きていくことは決して簡単なことではありません。しかし、どのような逆境にあっても、愚痴、妬み、嫉みを口にせず、常に前向きに生きぬいたRayさん。私は、こんな彼を心の底から尊敬し、彼が私に教えてくれた全てのことを、生きている私が行動に移そうと思います。そうすることで、彼はこれからも私たちの中で生き続けます。
最後に私は、加齢とともに挑戦することや愛することを諦めている方に、伝えたいことがあります。それは、前向きに生きることも、人を愛することも、年齢を理由に止めないでもらいたいということです。最期の瞬間まで、挑戦し人を愛しぬいて下さい。
野村るり子
