株式会社ホープス
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- 第二百七十三言「なんで、この仕事をしているかって?それは、仕事の本質が好きだからです」(2009年12月21日号)
- 第二百七十二言「年末年始、体の郵便配達さんを無視しないでね」(2009年12月14日号)
- 第二百七十一言「『十二人の怒れる男』を見て。プロ×プロ=スーパー作品」(2009年12月07日号)
- 第二百七十言「子どもは無限の力を持っている。声がけには気をつけて!」(2009年11月30日号)
- 第二百六十九言「ついに発売決定!、『3年あれば天才は育つ! 親も気づかない才能を「見つける」「引き出す」方法』(経済界)」(2009年11月23日号)
- 第二百六十八言「休憩と遊び。これが業務効率アップの秘訣」(2009年11月16日号)
- 第二百六十七「同窓会幹事の母たち」(2009年11月9日号)
- 第二百六十六言「マイケル・ジャクソンは King of Pop? それ以上です。Godです」(2009年11月2日号)
- 第二百六十五言「過ぎたるは及ばざるがごとし」(2009年10月26日号)
- 第二百六十四言「『装丁家』というお仕事。本に着せる洋服のデザイナー」(2009年10月19日号)
第二百六十六言「マイケル・ジャクソンは King of Pop? それ以上です。Godです」(2009年11月2日号)
(2009年11月2日号 No.266)
This Is It見てきました。北米初日に20億円の興行成績を記録した、今年6月に急死したマイケル・ジャクソンのリハーサル映像からなる映画です。
一方、マイケル・ジャクソン本人は興行成績など全く考えずに純粋にコンサート準備に入っていたことが伝わるだけに、興行成績だけを一人歩きさせたくないと感じました。
純粋に音楽を愛し、
純粋に完璧なショーを追及し、
純粋に世界平和を訴えた、そんな一人の天才が映像には映っていたからです。
映画の中では、マイケル・ジャクソンは、'King of Pop' とされていましたが、私には、彼がつくりあげた世界は、King の技ではなく、神の技であると感じました。彼の創造性と完璧主義は、もはや王の域を超えていました。
しかし、マイケル・ジャクソン自身は、はたして自分を完璧主義者と感じていたのでしょうか?おそらく、感性のままに動いた結果が、完璧の域に達したという表現の方が近いように思います。
同じ舞台に立つダンサーたちは、皆過酷なオーディションを勝ち抜いた世界トップの一流ダンサーです。その彼らでも、リハーサル最中には、多少のテンポのずれや振りのミスはありました。しかし、マイケルに関しては、まるで本番であるかのように完璧に歌い、完璧に踊るのです。
また、ダンスであれ歌であれ、舞台装置であれ、映像であれ、マイケルは妥協を許しません。キーボードやベース担当者との音あわせでは、半音でも誤った音を出せば、完璧に直るまで、何回も音をチェックします。曲の始まりのキュー出しにしても、半秒の誤差も許していません。
そうかと言って、上目線で人を動かそうとするのではありません。終始謙虚な姿勢で専門家たちと話し合い、彼らの意見も聞き入れています。また、自分の意見を聞き入れてもらった場合は、'God bless you!'というフレーズを感謝のことば代わりに何回も皆に送ります。
この映画を見て、マイケル・ジャクソンの死を、あらためて残念に思った人は多いことでしょう。日ごろは、何かに対し「許せない」と感じる感情は決してよいものではないと信じています。しかし、そのような私が、この映画を見ている最中ずっと、彼を死に至らした全ての状況に対し、許しがたいと感じました。それは、マイケルの死は、彼の人生を終わらせただけでなく、全身全霊でこのコンサートに打ち込んでいた全てのアーティストの希望を断ったからです。
受かる保証のないオーディションのために、飛行機で10時間かけてやってきた人。
マイケル・ジャクソンの舞台立てるなら、何を犠牲にしてもよいと言い切る人。
舞台装置に、映像に、・・・全ての分野で究極を目指してきた専門家たち。
これら全ての人たちの命をも同時に絶ったようなものです。
私は、この映画を、ブログを読んでいる全ての人に見てもらいたいと思います。
音楽が好きであろうとなかろうと。
マイケル・ジャクソンのファンであろうとなかろうと。
極める姿勢、想像する姿勢、リーダーシップを取る姿勢、謙虚な姿勢、世界平和を追求する姿勢、こどもたちを愛する姿勢、家族を愛する姿勢・・・。このような人間が持つべく全ての姿勢を、マイケル・ジャクソンの言動を通し学ぶことができます。
He is not a King of POP. He is God. これが私の結論です。
彼はポップの王ではない。彼は全能の神に限りなく近い人間であると、私は感じました。
野村るり子
