株式会社ホープス
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第二百八十二言「スーパーコーチはどこにでもいる」2010年2月22日号)
コーチを目指す方に是非読んでもらいたい記事の紹介です。
本日発売のAERA(朝日新聞出版)に掲載されている『銅・大輔と2人の女性』
バンクーバーオリンピック銀メダリストの高橋大輔選手に大きな影響を与えてきた2人の女性について書かれたものです。
一人は長光歌子(ながみつうたこ)コーチ。全日本フィギュアスケートジュニア選手権で優勝の経験もあり、西大学アイススケート部コーチを務める名コーチ。
もう一人は英子さん。高橋選手の母親が勤務する理容店オーナーの長女。大輔選手にとっては家族のような存在です。ただし、フィギュアスケートの専門家ではありません。
長光コーチの実績については、多くのメディアがカバーしています。しかし、英子さんの存在についてはご存知でないかたも多いです。そこで、今回は、フィギュアスケートの専門家ではない英子さんが、どのように高橋選手をオリンピックメダリストへと育て上げたかについて整理してみました。
<子どもの意思を尊重した上での'きっかけ'作り>
スケートリンクに連れて行き幼い大輔君にアイスホッケーを紹介。アイスホッケーにではなくフィギュアスケートに興味を示した大輔君を、フィギュアスケート教室に入会させる。
<トレーニングコストの削減>
高橋家への経済的負担を軽減するため、最低限のレッスンはプロの指導者に委ね、復習練習は英子さんが指導。衣装は全て手作り。
<人格形成>
スケートの技術力向上だけでは人としては不十分であるとし、挨拶や礼儀を徹底指導。
<メンタルトレーニング>
高橋選手が「周囲からの重圧でスケートを続けている」と取られる態度を取った際、英子さんは、「なら、自分が周囲に頼んでやめさせてやるわ」と発言。このような方法で、自分の意思で自分の責任のもと選手活動を続けることを教示。
08年に前十字靭帯断絶した際、「・・・ここからが仕切り直しだね」とメール。未来への希望と、危機を機会へとつなげる力を与える。
さて、ここで皆さんにお気付き頂きたいのは、教育学や体育学の教育を受けていなくとも、世界トップのアスリートを育てることは可能という事実です。
では、なぜフィギュアスケートの専門家ではない英子さんが、高橋選手をオリンピックメダリストとして育成できたのでしょうか?それは、彼を、アスリートとしてではなく、人として育てようと考えたからではないでしょうか?
技術はプロに任すことができます。ただし、プロの指導者に依頼をするにはコストがかかります。しかし、生きる上での方向性は、家庭内で示すことができます。しかも、こちらには、金銭的なコストはかかりません。
是非「野村の一言」読者の皆さんも、技術が分からないからとあきらめるのではなく、天才育成を試みて頂きたいと思います。技術指導に関する課題は、プロの指導者とチームを組めば乗り越えられるものです。
*非専門家による天才育成については、『3年あれば天才は育つ!』の第7章 『「世界」を見据えた英才教育』でも詳しく述べています。是非、こちらも別途ご参照下さい。
野村るり子
第二百八十一言「Forgive and to be forgiven ~許すということ~」(2010年2月15日号)
前回の「野村の一言」で、私は
「あなたにとって『ちょっと苦手』と感じる人はいませんか?」
と問いました。
このような質問をした私にも、大変苦手に感じる人はいます。
15歳の若さで、私が単身アメリカ留学を決意したのは、ある教師の一言があったからです。
「努力の問題ではない。下手にも程がある!」
これは中学の授業中、クラスメートの前でA教師が私に向けて発した一言です。
私は、幼少の頃から朗読が大の苦手でした。特に人前で音読をすると、眼球は文字を追えなくなり、文字飛ばしや行飛ばしがはじまります。この恐怖は味わった方でなければ分からないかもしれません。
この弱点を克服するために、私はクラスメートの何倍も自宅で音読の練習をしました。しかしそれでも、全クラスメートの前で音読しようとすると、心臓の音がドクドクと聞こえるほど緊張し、また上手く読めなくなるのです。
そこで、私が考えついたのが、教科書の丸暗記です。
暗記すれば、文字飛ばしや行飛ばしを恐れる必要がない!自分なりに名案だと思ったものです。
しかしA教師は、野村の作戦に気づいたのか、
「野村、次のページの頭から読め!」
「次は、前のページの第二段落から読め!」
と、まるでシャフルにでもかけたかのように、読み始めの位置を変えました。
もはや、この時点で、教科書1冊暗記作戦では、対応不可となりました。
ついに、自分が何をどう読んでいるかも分からなくなった時、A教師は言いました。
「なんで、野村はそんなに朗読が下手なんだ!」
私は、自分が誰よりも陰で努力をしていることを知っていましたが、
「努力が足りないからだと思います」ととっさに答えました。
これが、未来に向けて頑張れる、私にとってのギリギリの答えだったのです。
もしそこで、A教師が「なら。もっと努力をしろ!」と怒鳴ってくれたら、どんなに救われたことでしょう。未だ前向きに歩き続けていいのだ、と思えたことでしょう。
しかし、彼は笑いながら言いました。
「努力の問題ではない。下手にも程がある!」
この瞬間、私は、学校を転校することを決意しました。
そして、日本の教育からも距離を置くことを決めました。
自分が他のクラスメートより劣っていることはとうの昔に気づいている。
そんなことは、現実として受け止めている。
クラスメートとのギャップを努力で埋めようとしてきた。
しかし、努力することを否定されたら、この先、どう生きていっていいのかが分からない。
これが、未来への希望をなくした瞬間でした。
A教師の一言があったからこそ、15歳で、単身留学などという大それた行動を取れたのかもしれません。
勿論、アメリカでも辛いことはありました。しかしその地で、私は、自分の才能を見つけては褒めてくれる多くの教師たちに出会いました。
「あなたはインテリジェントね」と声をかけてくれた高校の数学教師。
「そんなによくできるなら、私の母校UCLAを受験しなさい」と言ってくれた英語教師。
「君がこの大学を卒業したら、日本人女性初の卒業生になる。是非入学してくれ!」と言ってくれたペンシルベニア州立大学の教授。
「君の体験(学業でつまずいた経験)を、大学の研究で役立てたい!」と言ってくれたMITの教授や教師。
私の人生は、努力することを否定された「あの日」から、プラスの方向に大きく変りました。
そして月日が流れました。私はある日、A教師と偶然すれ違いました。その時私は、反射的に物陰に隠れ、挨拶するのを避けました。何とも大人気のない行動です。そして、思いました。いつか、正面からこの人と向き合って話し合える日が来るのだろうか、と。
「先生がおっしゃったことに実は傷ついたのですよ」と笑って言える日が。
「でも、先生の一言がきっかけとなり、自分の人生は大きく変わりましたよ」と、冗談ぽく伝える日が。
「私は、先生と同じ教育者の道を選んだのですよ」と、同業者として指導の苦労について語り合える日が。
こんな回想を繰り返しても、私はそれほど優等生でもなければ、勇気のある人間でもありません。未だにA教師を苦手と思っている小心者です。
そんな私に、訃報が届きました。
あの先生の。
私は、ここで道徳的なことを言うつもりはありません。
感受性が高い時期に傷ついた心は容易には癒されるものではありません。
しかし、(第二百八十言でも書いた通り、)人は、そうそう故意に人を傷つけているのではないということにも気づかなければなりません。
私も指導者として、多くの子どもたちを傷つけてきました。
あの時のあの言葉は正しかったのか?、
あの時のあの表情は子どもに向けるべきものだったのか?、
あの時のあの行動は正しかったのか?・・・と、日々反省しています。
そして、自分の教え子の何人かは、そんな私を許し、今でも微笑んで挨拶をしてくれます。
なら、私も許す気持ちを持たなければならないでしょう。そして、どうせ許され、許しあうなら、相手が生きているうちに行動に移すべきでしょう。
もしあなたに、野村以上の勇気があるなら、相手が生きているうちに、笑顔で挨拶をして下さい。'その人'と偶然すれ違えたなら。
野村るり子
第二百八十言「No one knowingly does wrong~気づきながら悪いことをする人間は一人もいない~」(2010年2月8日号)
突然ですが、あなたにとって「ちょっと苦手」と感じる人はいませんか?
学校の先生や塾の先生かもしれません。
職場の先輩や上司かもしれません。
また、人前で自分の弱い部分を厳しく注意した人や、自分の弱い部分について、何度も何度も注意をした人を「恐い」と感じることもあるでしょう。
今では、気丈と言われる野村でも、学生時代や社会人になったばかりの頃は、自分の弱い部分を人前で指摘されたことがきっかけとなって、何年も注意をしてくれた人を避けたことがあります。
しかし、今になると、注意をした側の問題だけではなく、注意を受けた側の感じ方にも問題があったことに気づきます。
No one knowingly do wrong.
(気づきながら悪いことをする人間は一人もいない)
これは、大学3年の時、図書館で見つけた哲学者の言葉です。
その言葉を紙に写し、哲学のクラスの議論のテーマとして提出したことがあります。
母語が英語でない自分は、テーマを提出はしたものの、討議には加わらず、元気なアメリカ人学生たちの議論を遠目で見ていました。
正義感たっぷりの優等生タイプの男子学生が、「悪気なくて人を殴るなんて、ありえない。知っているよ、みんな悪いって」と主張しました。
すると、教授が穏やかな声で、「その瞬間はどうだろう?殴るべき。それが正しいこと。って感じていたのではないかなぁ」と問いかけました。
今、毎日のように人を指導する仕事について、感じることがあります。それは、この教授が説明した通り、自分も、日々「よかれ」と思って注意の言葉を生徒たちにかけている。しかし、それが結果として、生徒を傷つけることもあると。
このように、完璧ではない指導をしてきても「先生、先生」と何年も何十年も慕ってくる教え子もいれば、道で偶然であって「ヤバっ!」といった表情で、自分を避けていった教え子もいます。
指導をする側の人間も決して完璧ではありません。それでも、指導をしなければならないことはあります。そのような時大切なことは、その時々で、正しい目的のもと行動を取るということなのではないでしょうか。
そして、それでも、人を傷つけていることにも気づいたなら、日々反省を繰り返さなければなりません。
また、指導を受ける立場に立ったら、相手の言動の後ろにある「気持ち」を理解することも大切でしょう。
「なぜ、彼(彼女)は、このような言葉を発しているのか?」。
「このような行動を取るのはなぜか?」と考える。
そうすることで、注意をする側が直面している心の葛藤をうかがい知ることができるでしょう。
No one knowingly does wrong.
この言葉を頭の片隅にでも置いて下さい。
野村るり子
