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第二百八十言「No one knowingly does wrong~気づきながら悪いことをする人間は一人もいない~」(2010年2月8日号)

 

突然ですが、あなたにとって「ちょっと苦手」と感じる人はいませんか?

 

学校の先生や塾の先生かもしれません。

職場の先輩や上司かもしれません。

 

また、人前で自分の弱い部分を厳しく注意した人や、自分の弱い部分について、何度も何度も注意をした人を「恐い」と感じることもあるでしょう。

 

今では、気丈と言われる野村でも、学生時代や社会人になったばかりの頃は、自分の弱い部分を人前で指摘されたことがきっかけとなって、何年も注意をしてくれた人を避けたことがあります。

 

しかし、今になると、注意をした側の問題だけではなく、注意を受けた側の感じ方にも問題があったことに気づきます。

 

 

 

 

No one knowingly do wrong.

(気づきながら悪いことをする人間は一人もいない)

 

これは、大学3年の時、図書館で見つけた哲学者の言葉です。

その言葉を紙に写し、哲学のクラスの議論のテーマとして提出したことがあります。

 

母語が英語でない自分は、テーマを提出はしたものの、討議には加わらず、元気なアメリカ人学生たちの議論を遠目で見ていました。

 

正義感たっぷりの優等生タイプの男子学生が、「悪気なくて人を殴るなんて、ありえない。知っているよ、みんな悪いって」と主張しました。

 

すると、教授が穏やかな声で、「その瞬間はどうだろう?殴るべき。それが正しいこと。って感じていたのではないかなぁ」と問いかけました。

 

今、毎日のように人を指導する仕事について、感じることがあります。それは、この教授が説明した通り、自分も、日々「よかれ」と思って注意の言葉を生徒たちにかけている。しかし、それが結果として、生徒を傷つけることもあると。

 

このように、完璧ではない指導をしてきても「先生、先生」と何年も何十年も慕ってくる教え子もいれば、道で偶然であって「ヤバっ!」といった表情で、自分を避けていった教え子もいます。

 

指導をする側の人間も決して完璧ではありません。それでも、指導をしなければならないことはあります。そのような時大切なことは、その時々で、正しい目的のもと行動を取るということなのではないでしょうか。

 

そして、それでも、人を傷つけていることにも気づいたなら、日々反省を繰り返さなければなりません。

 

また、指導を受ける立場に立ったら、相手の言動の後ろにある「気持ち」を理解することも大切でしょう。

 

「なぜ、彼(彼女)は、このような言葉を発しているのか?」。

「このような行動を取るのはなぜか?」と考える。

 

そうすることで、注意をする側が直面している心の葛藤をうかがい知ることができるでしょう。

 

No one knowingly does wrong.

 

この言葉を頭の片隅にでも置いて下さい。

 

野村るり子

 

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