株式会社ホープス
〒107-0062
東京都港区南青山6-12-3
南青山ユニハイツ701号室
- 第二百八十二言「スーパーコーチはどこにでもいる」2010年2月22日号)
- 第二百八十一言「Forgive and to be forgiven ~許すということ~」(2010年2月15日号)
- 第二百八十言「No one knowingly does wrong~気づきながら悪いことをする人間は一人もいない~」(2010年2月8日号)
- 第二百七十九言「試験日直前にやっていいこと」(2010年2月1日号)
- 第二百七十八言「アメリカの経営をただ真似するのでは不十分だった」(2010年1月25日号)
- 第二百七十七言「センター試験、お疲れ様でした。過去を受け入れ、未来を変える!」(2010年1月18日号)
- 第二百七十六言「小言の習慣を絶つ」(2010年1月11日号)
- 第二百七十五言「新年初の野村の一言。昨年までの自分があるからこそ立てられる今年の目標」(2010年1月4日号)
- 第二百七十四言「『先生』と呼ばれる仕事についても、注意はしてもらいたいですね」(2009年12月28日号)
- 第二百七十三言「なんで、この仕事をしているかって?それは、仕事の本質が好きだからです」(2009年12月21日号)
第二百八十一言「Forgive and to be forgiven ~許すということ~」(2010年2月15日号)
前回の「野村の一言」で、私は
「あなたにとって『ちょっと苦手』と感じる人はいませんか?」
と問いました。
このような質問をした私にも、大変苦手に感じる人はいます。
15歳の若さで、私が単身アメリカ留学を決意したのは、ある教師の一言があったからです。
「努力の問題ではない。下手にも程がある!」
これは中学の授業中、クラスメートの前でA教師が私に向けて発した一言です。
私は、幼少の頃から朗読が大の苦手でした。特に人前で音読をすると、眼球は文字を追えなくなり、文字飛ばしや行飛ばしがはじまります。この恐怖は味わった方でなければ分からないかもしれません。
この弱点を克服するために、私はクラスメートの何倍も自宅で音読の練習をしました。しかしそれでも、全クラスメートの前で音読しようとすると、心臓の音がドクドクと聞こえるほど緊張し、また上手く読めなくなるのです。
そこで、私が考えついたのが、教科書の丸暗記です。
暗記すれば、文字飛ばしや行飛ばしを恐れる必要がない!自分なりに名案だと思ったものです。
しかしA教師は、野村の作戦に気づいたのか、
「野村、次のページの頭から読め!」
「次は、前のページの第二段落から読め!」
と、まるでシャフルにでもかけたかのように、読み始めの位置を変えました。
もはや、この時点で、教科書1冊暗記作戦では、対応不可となりました。
ついに、自分が何をどう読んでいるかも分からなくなった時、A教師は言いました。
「なんで、野村はそんなに朗読が下手なんだ!」
私は、自分が誰よりも陰で努力をしていることを知っていましたが、
「努力が足りないからだと思います」ととっさに答えました。
これが、未来に向けて頑張れる、私にとってのギリギリの答えだったのです。
もしそこで、A教師が「なら。もっと努力をしろ!」と怒鳴ってくれたら、どんなに救われたことでしょう。未だ前向きに歩き続けていいのだ、と思えたことでしょう。
しかし、彼は笑いながら言いました。
「努力の問題ではない。下手にも程がある!」
この瞬間、私は、学校を転校することを決意しました。
そして、日本の教育からも距離を置くことを決めました。
自分が他のクラスメートより劣っていることはとうの昔に気づいている。
そんなことは、現実として受け止めている。
クラスメートとのギャップを努力で埋めようとしてきた。
しかし、努力することを否定されたら、この先、どう生きていっていいのかが分からない。
これが、未来への希望をなくした瞬間でした。
A教師の一言があったからこそ、15歳で、単身留学などという大それた行動を取れたのかもしれません。
勿論、アメリカでも辛いことはありました。しかしその地で、私は、自分の才能を見つけては褒めてくれる多くの教師たちに出会いました。
「あなたはインテリジェントね」と声をかけてくれた高校の数学教師。
「そんなによくできるなら、私の母校UCLAを受験しなさい」と言ってくれた英語教師。
「君がこの大学を卒業したら、日本人女性初の卒業生になる。是非入学してくれ!」と言ってくれたペンシルベニア州立大学の教授。
「君の体験(学業でつまずいた経験)を、大学の研究で役立てたい!」と言ってくれたMITの教授や教師。
私の人生は、努力することを否定された「あの日」から、プラスの方向に大きく変りました。
そして月日が流れました。私はある日、A教師と偶然すれ違いました。その時私は、反射的に物陰に隠れ、挨拶するのを避けました。何とも大人気のない行動です。そして、思いました。いつか、正面からこの人と向き合って話し合える日が来るのだろうか、と。
「先生がおっしゃったことに実は傷ついたのですよ」と笑って言える日が。
「でも、先生の一言がきっかけとなり、自分の人生は大きく変わりましたよ」と、冗談ぽく伝える日が。
「私は、先生と同じ教育者の道を選んだのですよ」と、同業者として指導の苦労について語り合える日が。
こんな回想を繰り返しても、私はそれほど優等生でもなければ、勇気のある人間でもありません。未だにA教師を苦手と思っている小心者です。
そんな私に、訃報が届きました。
あの先生の。
私は、ここで道徳的なことを言うつもりはありません。
感受性が高い時期に傷ついた心は容易には癒されるものではありません。
しかし、(第二百八十言でも書いた通り、)人は、そうそう故意に人を傷つけているのではないということにも気づかなければなりません。
私も指導者として、多くの子どもたちを傷つけてきました。
あの時のあの言葉は正しかったのか?、
あの時のあの表情は子どもに向けるべきものだったのか?、
あの時のあの行動は正しかったのか?・・・と、日々反省しています。
そして、自分の教え子の何人かは、そんな私を許し、今でも微笑んで挨拶をしてくれます。
なら、私も許す気持ちを持たなければならないでしょう。そして、どうせ許され、許しあうなら、相手が生きているうちに行動に移すべきでしょう。
もしあなたに、野村以上の勇気があるなら、相手が生きているうちに、笑顔で挨拶をして下さい。'その人'と偶然すれ違えたなら。
野村るり子
